ついにルーマニアに入りました。この日はシギショアラという中世の面影を残す街に行こうと電車に乗りました。そこで撮ったトランシルバニアの大地です。緑いっぱいの丘陵地が果てしなく広がっています。しかし,ちょっとずれると,二千,三千メートル級の山々が連なっています。そこはリゾート地でスキーや山登りができます。今回は残念ながら行けませんでした。




これは何とか今乗っている列車の横顔とトランシルバニアの大地を写そうと努力した結果の写真です。「うまくいった!」と思い,見てみると,なんと窓から手を出している人がいた・・・しかも,手首だけ,だらんと・・・まったく,がっかりでした・・・




シギショアラの象徴,時計台です。もちろんちゃんと時を刻んでいます。駅から2kmくらい歩いてようやくやってきた歴史地区で,ほんの少し高台に旧市街は広がっています。その入り口まで階段を上り,最初に見えるのがこの時計台です。下をくぐって街に入ります。ところで,時計のすぐ上にたくさんのアーチがありますが,そこが展望台です。そこまで登れます。




これは名前とかはわかりませんでしたが,教会の時計台です。




というわけでシギショアラの歴史地区・・・なのですが,う〜む,こうしてみるとちょっと貧乏な街(失礼)という印象が先行してしまいますね。しかし,プラハのような赤い屋根が印象的です。




同じく歴史地区です。少し狭い通りですね。全体的に赤い感じの家々が立ち並びます。このようにひっそりと静かな通りもありましたが,さっきの時計台の周辺は,レストランや土産物屋などがちょこちょことあって,にぎやかでした。観光客はそこそこは着ていましたが,ツアーという感じではなかったですね。もちろん日本人は私だけでした。




これは時計台から撮った写真です。時計台の中は博物館になっていて,昔の大砲などの武器類や,衣服,農耕具,そして,時計のからくりなどが展示してありました。階段を上って上まで行きましたが,ここはしっかりと作られていて,それほど怖くはありませんでしたよ。そして,そこからシギショアラの街を見下ろして撮りました。やはり赤い屋根の家がひしめいています。このように見るときれいですね。




これは,歴史地区からさらに丘を登った上にある教会まで行く過程にある階段です。写真をクリックして大きくするとわかりますが,上の看板に1642と書かれています。これがこの階段が作られた年代です。ところで,この階段は221段ありました。




ドラキュラ伯爵で有名なブラン城です。この日は朝ブラショフを出発して,バスで約1時間。ブラン城に到着しました。いやな予感がしていたのですが,やはりバスの中で土砂降りに遭い,やばい感じになりましたが,何とかやんでくれました。ブラン城はこのように小高い丘の上に立っています。かなり急な坂を上っていきました。




ブラン城内の廊下から中庭を眺めるときに撮りました。右下にはつぼなどがおいてありますが,この辺りには井戸もありましたよ。この廊下は建物で言えば3階くらいの高さです。




これは案内板にはっきりと書いてありました。城内にある抜け道です。もちろん真っ暗でしたが,フラッシュをたいてくっきりとわかります。この階段は涼しい感じがしました。階段は石を削って作ってありましたが,不安定で,滑りそうになりました。それにやはり秘密の通路なだけあって,とても狭い。私が上にあがるとき,上から誰かが顔を出し,私の姿を見つけると,降りてくるのをやめました。一人しか通れません。




管理人が写っていますが・・・ここが中庭です。これを囲むようにぐるっとお城があります。ところでお城ですが,やはり一通りのものがそろっていました。王やその家族たちの部屋などもありましたし,大きなピアノなどもおいてありました。夕食をとったと思われる部屋はやはり豪華でしたよ。ブラン城周辺はやはり観光地化されていました。おみやげ物屋が軒を連ねます(20軒以上ありました)。食堂もありました。あまり天気がよくなかったのに,観光バスも2,3台来ていました。私はブラショフからの普通の幹線バスで行ったのでどこで降りればいいのか不安でしたが,近くのおばちゃんに聞いてみたら,「教えてあげるけど,すぐにわかるわよ」といわれましたがその通りでした。




さて,ここの街の名前はリシュノフ。ブラショフとブラン城の間にある街です。ブラショフからの幹線バスは必ずこの街を通るのですが,観光地では決してありません。普通の人はここは素通りしてブラン城に向かうでしょうが・・・Lonely Planetというガイドブックではこの街の山の上にあるリシュノフ要塞がなかなのものだと紹介していました。観光客もおらず,迫力はブラン城以上だと。というわけで,ブラン城に寄った帰り思い切ってバスを途中下車してみました。バスの窓から山の上に見える要塞跡を見ながらこの辺で降りようという予測を立てて下車しました。しかし,とにかく何もない街です。写真で見える一本の道を通ってきました。それを行くと幹線バスの停留所にぶつかります。




上の写真でもわかるようにこの要塞は丘の上ではなく明らかに山の上に建っていました。今日が初めて(!)のガイドの仕事だという母国語以外に英語,ドイツ語が堪能な女の子に聞いてみると,もともとトランシルバニア中の戦争があって,リシュノフもそれに巻き込まれ,その中でこのような要塞ができたとのこと。確かに天然の要害の中に立っていますね。しかし,ここまで上るのが大変でした。とにかく,山が険しいというか・・・道がないんですよ(笑)。観光客なんてまだ来ると思っておらず,登山道がない。私が途方にくれていると,地元の小学生2人が思いっきり案内してくれました。そこはいつもの遊び場なんでしょうが・・・私にとっては・・・(笑)。しかし,何とか上につくと,今度は,仕事をしている人となにやら話をしている(ルーマニア語)。しばらくして,「行っていいよ」という意味のことを言い,中に入ったという感じでした。




今私が立っている場所は元教会があったところらしいです(ガイドさん談)。しかし,これらの写真ではわかりませんが,この要塞まだ発掘中で,20人くらいの人たちが一生懸命発掘をしたり瓦礫を片付けたりしていました。ほんとはきてはならなかったのかと思いましたが,一応いかにも「臨時」というおみやげ物屋さんがあり,見学料もしっかりととられたので,まあ・・・あと2年くらいすると,しっかりするのではないかなと思います。だが,ちょっとした博物館には短剣や大砲なども飾られていてなかなか面白い。しかも,山の上なのでリシュノフの街や,その遠くの平野なども見渡せてすばらしかったです。




一枚記念にリシュノフの街の教会を撮りました。さっきの小学生たちもまだいました。やっぱりどっから見ても怪しい外人(私)が歩いているということで珍しかったんだと思います。みんなブラン城に行ってしまい,このようなところにはこないだろうと思うので・・・街にはおみやげ物屋さんもなく,ただ市場がありました。行きの話ですが,そこでりんごを買って食べながら歩いたのを覚えています。




でかい建物ですね〜。これは,ブカレストのあの悪名高いチャウシェスクの名作です。こんな建物を人の税金で建てられたらしゃれになりませんね。観光客にとっては面白いですけど・・・(笑)。ブカレストの中心から歩いて20分くらいです。




正門から入って,200mくらい歩いて正面玄関から中へ。入るとすぐ左手にチケット売り場があり,正面には,あの空港によくあるセンサーが。一応今は国会議事堂なのでセキュリティーチェックは厳しいです。ところで,この見学は個人ではできません。必ずガイドさんがつくツアーのようになり,すべてを見せてくれるわけではありません。ガイドさんは英語,ドイツ語に堪能の若い女の人でした。大学生のバイトのような感じがしましたよ。




やっぱりちょっと,金使いすぎたな・・・チャウシェスクよ・・・と思いました。大理石の柱にぴかぴかの床。おお〜,という感じでした。ところでガイドさんによれば,チャウシェスクの死後,この建物をどうするかということになってかなりいろいろと議論があったようです。仰天したのは,初めはカジノが有力だったという話。近くで聞いていた私は,思わず「えっ」といってしまい,ガイドさんも「ほんとにまったく・・・何考えてるのかしら・・・」という表情で苦笑していたのが印象的でした。




じゅうたんもすばらしい。どこから仕入れたのでしょうか・・・?とにかく,これでもかって言うくらい贅沢です。今は国会議事堂として十分な働きをしていますが,チャウシェスクの独り占めのときはやっぱり,腹立つでしょうね・・・




こういったオブジェや,絵画などが所々に飾られていました。あんまり・・・その・・・何というか・・・チャウシェスクはセンスがなかったのではないかという感じがしないでもないですが・・・金かければいいってもんでもないような気がします。ところで,この建物についてですが,ガイドさんの話によれば,やっぱりあちこちに欠陥が見つかっているらしいです。実際にいくつかの場所を案内してもらいましたが,主に中側の目立たないところは,がたがたに崩れ,ひび割れがひどいです。あるバルコニーなどもひび割れで,もうそこに人が乗るのを禁止されていました。しかし,それを修理するお金がないんだそうです。私としては,ガイドさんの感じからいって,「そんなことに金を使ってられるか!」という印象を受けました(笑)。




議事堂のバルコニーから撮りました。向こうに続く道を行くとブカレストの中心です。花壇とかはすばらしいですね。建物などではなく,こういったところをもう少し強調すべきだったのでしょう。こうしてみると,やっぱりチャウシェスクはただの独裁者だったのだなという印象はぬぐえませんね。ただでかい建物を建てれば自分の権力を誇示できるという感じです。この豪華な建物と比べてブカレストには物がありません。デパートなどもエスカレーターは止まり,電気が消えています。これをどうしていくかが,ルーマニアの課題でしょう。味のある国ルーマニア。もう一度ぜひ行きたいですね。





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